カテゴリー : モノローグ

HAPPY NEW YEAR 2012

昨年は無事、競馬雑誌「ROUNDERS」を5月に創刊することができ、11月にはvol.2まで出すことができました。また、私生活では、長年勤めた会社を退職(11月に新しい仕事に就く)、そして入籍(結婚式は今月末)と、個人史的にもターニングポイントとなる一年間だったと思います。そして、競馬が取り持つ縁で、一昨年にもまして、たくさんの人たちと出会った一年間でもありました。雑誌の追い込みや転職活動で辛いときにも、多くの人たちに支えてもらいました。秋のGI全敗など馬券的には散々でしたが、頑張って走る馬たちにも元気をたくさんもらいました。有馬記念は個人的にはありゃま記念でしたが、レース前から引退式に至るまでのブエナビスタの姿、一生忘れることはないでしょう。ブログはもはや死に体で、体力のない自分が情けないところですが、ぼちぼち馬なりで頑張っていきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。(gachalingo/荒木圭介)

この馬を見よ(4)競馬を「見る」ためのラップ分析(半笑い篇)

競馬予想という行為が、最高に知的な技芸であり、日常生活を削ってでも果敢に挑む価値のある極めてスリリングなゲームであることを、偏執的ともいえる緻密なレース分析と明晰かつ膨大な量の予想文で教えてくれたのは、僕がいまさらここでご紹介するまでもなく有名な予想家、半笑いさんです。新聞であれ雑誌であれブログであれ、毎週毎週様々な媒体に現れる競馬予想は星の数ほどありますが、半笑いさんほど「読ませる」予想文を書ける人を僕は知りません。それはさながら一篇の推理小説。探偵半笑いが、膨大な仮説を論証し、18人の容疑者を徹底的に調べあげ、ついに犯人(=勝ち馬)を追いつめる! なかでも半笑いさんの予想の神髄が最も見事に凝縮された、2009年天皇賞春の予想文がここで読めますので、ラップに興味のある方はぜひ読んでみてください。

さて、半笑いさんのラップ分析では、馬柱に掲載される「テン」と「上がり」を除いた部分を「中盤」と呼び、この「中盤」ラップが分析の重要な要素に位置づけられます。なぜなら「中盤」にこそ「底力」および「格」が表れるからです(半笑いさんの予想理論の概要はここを参照)。たとえば、東京芝2000mのクラス別平均ラップ(テン3F-中盤4F-上がり3F:2007~10年の良馬場のみ単純平均)は以下のとおりです。

36.0-48.0-34.8/1.58.8(古馬OP)
36.2-48.8-35.0/2.00.0(古馬1600万下)
36.5-49.0-35.2/2.00.6(古馬1000万下)
36.5-49.8-34.6/2.00.9(古馬500万下)
37.1-50.9-35.1/2.03.1(3歳未勝利)

即ち「クラスが上がってペースが速くなる」のは「テンだけでなく、中盤に息を入れられないこと」を指しているし、「クラスが上がって1ランク上の末脚が要求される」のは「速くなった中盤を乗り越えた上で、バテずにしっかりした末脚を使うこと」というのが理解できるだろう。それぞれ、単に「テン」「上がり」単独では読み解けない内容である。(半笑い『人生が変わる競馬』より)

緻密なラップ分析って聞くと、競争馬やレースを「見る」ことから話が離れていってるんじゃないの?と思われる方がいるかもしれませんが、そうではないのです。競馬歴の浅い僕が言うのはあんまり説得力がないかもしれませんが、ラップってむしろ、あるレースがいかなる質のレースであったかを理解するための、そして、競争馬の能力や適性を把握するための、非常に有効な回顧ツールだと思います。僕が特にメリットを感じるのは、血統や馬体からではなく、まさに実際のパフォーマンスをラップという実際に刻まれた数字を使って検証できるという点。枠順や不利、距離ロスなどに加え、ラップと照合しながらレース回顧をすることで、ただ漫然と見るだけの回顧では分からなかったいろんなことが「見えて」くるようになるのです。これからラップを勉強したいという人には、『人生が変わる競馬』の第2章「ラップ分析の基礎と応用」をおすすめします。

この馬を見よ(3)覚醒するドラゴン

エノさん、でぃらんさん、あめすぴさんという若愉軍団の馬体派たちに大きな刺激を受け、従来のレース回顧中心の分析に「馬を見る」というファクターを取り入れることで、この1年間で驚くほどの成長を見せてくれた男がいます。若愉での頼もしいパートナーであり、レース回顧の功労者でもある「CLASSIC REPORT」のりゅうさんです。もともと彼は「レースを見る」ことを人一倍熱心に実践してきましたが、この1年間は類まれな勤勉さで「馬を見る」ことにも意識的に力を注ぐことで、端から見ていても驚異的な成長を遂げました。この1年間のりゅうさんの馬計簿公開が待たれるところです(笑)

若愉ではホエールキャプチャやマルセリーナをいちはやく評価し、桜花賞は彼女たちのワンツーフィニッシュ。また、やはりりゅうさんがかなり早い段階で評価していたリアルインパクトが、古馬を押し退けて安田記念を勝利したのは記憶に新しいところです。彼が凄いのは、重賞だけでなく、未勝利などの下級条件においてもバシバシ単勝を的中させてもいるところ。それに、馬体派はわりと購入レースを絞って、しかもパドック&返し馬で最終決断を下しますが、りゅうさんは土日に仕事が絡みやすいこともあって、だいたい前日か当日の朝に馬券を購入しており、要するに、馬券を打った数は馬体派の5倍はおそらくゆうに越え、レース直前にレートを変えたり回避したりもしていないわけです。にもかかわらず、凄まじい的中率&回収率!

りゅうさんの覚醒の裏には、血の滲むような努力があることは、近くでずっとそれを見てきた僕がいちばんよく知っています。その努力に競馬の神様が微笑んだことは間違いないわけですが、馬体派の刺激を受けつつ「馬を見る」ことを実践したこともまた、覚醒の大きな要因になったのではないかと僕は思うのです(馬券哲学を変更した点も見逃せませんが、これはまた別の機会に考察してみたいと思います)。

りゅうの馬見修行日記」、ここでりゅうさんが実践していることは、何も難しいことではありません。過去の重賞勝ち馬の馬体をずらっと並べて「見る」。次に、今回出走する馬たちの馬体を「見る」。小賢しい御託を並べて馬体を評価するわけでなく、純粋に自分の感じた印象を大切に今回「走る馬の形」を自分なりに決断してみる。そして、回顧する。これを延々と繰り返す。これだけを見ると主観的な印象を書いているだけじゃんと思われるむきもあるかもしれません。でも、それでいいのです。大切なのはこれを続けること。他人の言葉に頼らず、自分の目で見て自分で判断してみること。トライ&エラーを繰り返すこと。

こうしたりゅうさんの小さな努力の積み重ねは、着実に彼の力になってきていると思います。馬体評価◎にずっと応援してきた馬への強い思い入れも重なった有馬記念でのヴィクトワールピサの単勝馬券。こういう馬券を僕も打てるようになりたいなぁ。今期もりゅうさんにはいろいろ迷惑をかけるとは思いますが、切磋琢磨しながら一緒にクラシックロードを走りましょう!僕がこんなエントリーをアップしちゃったので、変に力んでしまってアワワワにならないことを祈ります(笑)

この馬を見よ(2)馬体派への誘い

ネット上に競争馬が視覚的に遍在する時代においては、「馬体」を予想のファクターとして重視するスタンスがこれからのトレンドになるのではないか。エノさんとでぃらんさんに出会った1年前は、そんなことを考えていました。競馬中継番組におけるマイネルの岡田総帥の準レギュラー化なんてまさにその兆候なのかなぁ、なんて思ったりもするわけですが、実際のところどうなんでしょう。あ、昨日本屋に行ったら、古澤さんの『馬体革命』(競馬王新書)が出ていたので早速ゲットしました。まだ目次しか眺めていませんが、古澤さんいわく「馬体診断はトレンドにならないからおいしい」のだそうです!

いずれにしても、スピード指数や血統理論がすでに人口に膾炙していることは、持ち時計の速い馬が人気することや、短距離や長距離あるいは馬場状態の極端な変化など、ある条件に対する適性を血統が裏打ちすると思われる馬が実力以上に人気することなどからもわかります。そうしたなかで、これから「馬体」が予想ファクターのトレンドになっていくのかと言えば、なんとなく、古澤さんの言うとおり「トレンドにならない」が正しいような気がします。というのも、「たくさんの経験を積み、たゆまぬ努力をしていくこと」が相馬眼を鍛えるためには確実に必要だからです。スピード指数や血統理論が数値や記号への簡略化のベクトルを内包しているのに対し、馬体を極めることは、数をこなし身体に叩き込むという、簡略化とはまったく逆方向へと突き進むものだからです。

数をこなし身体に叩き込むことで蓄積されていく経験は、当の本人の中にゲシュタルト的な認識を芽生えさせます。たとえば、エノさんは「馬券歴30年」の馬体派の師匠に「さっきの馬のパドック、覚えとき」と言われた馬の姿をひたすら覚えたそうです。でぃらんさんもやはり、師匠から「良質な馬体にひたすら触れ」ることで「走る馬の形を頭に叩き込むんだ」と言われ、それを実践した(している)のですね(「馬体に夢中!![前篇]」)。

僕のような教科書から入るような人間がまず陥るのは、この繋ぎは、この飛節は、このトモは……みたいな感じで、各パーツを切り離して全体を見ることを忘れてしまうという過ちです。どれだけ素晴らしいパーツを備えていても、それぞれのパーツが最も効率的にパフォーマンスを発揮できるバランスで連動していなければ、やはりその馬は走りません。走る馬というのは、各パーツが良いだけでなく、理想的な連動を果たし、結果として「走る馬の形」をしているのだ、というわけです。「部分ではなく、全体を見よ」、これが最も大事であるということを、馬体派の友人たちは教えてくれました。

「数をこなし身体に叩き込む」修行が必要であることに加え、もうひとつ、馬体が「トレンドにならない」大きな理由があります。それは言語化しにくいということです。根拠はあくまでも馬体という視覚的な要素にあるため、言葉だけでその技術を多くの人に伝えにくいんですね。また、ぶっちゃけて言えば、誰かを説得する必要が生じない限り、馬体派は予想の根拠を言語化する必要がありません。「うおお、この馬ええんちゃうの?よっしゃ買ったれぇ!」(なぜかエノさん口調)で本人的にはよいわけです。本人の中に醸成されたゲシュタルト的な認識こそがその馬を買う根拠になるわけで、そういう意味において、共通言語を持ちにくい予想法とも言えます。馬体関係の書籍もあるにはありますが、馬体の各部名称などの静的な用語こそ固定されてはいるものの、動きやパーツの連動、状態判断に関わる主観的な表現はやはり千差万別。それらを客観的な記述へとまとめ上げられれば、馬体が予想のトレンドになる日もやってくるのかもしれません。個人的には、JRDBの金子京介さんがその仕事をいずれ果たしてくれるのではないかと密かに期待しています。

この馬を見よ(1)今期の目標は「見る」

雑誌「d/SIGN」を捨てようと思ってパラパラめくっていると、矢田等さんという方の「見え隠れ写真日記」なるプチコラムが目を引きました。というのも、「賭け」というタイトルに馬の写真が添えられていたからです。走っている馬の脚の運びはいったいどうなっているのか。この問いは、古来より幾多の人々を悩ましてきた難問だったらしく、哲学者のアリストテレスも悩んだ一人であったといいます。この難問が解決されたのは、100年と少し前のことでした。

アメリカの大金持ちが友人と賭けをした。金持ちは「走行中の馬の四肢は同時に地面を離れる瞬間がある」と言い張り、写真家マイブリッジを雇い入れ、賭金をはるかにしのぐ大金を投入して自分の主張を証明しようとした。マイブリッジは当時の感度の低いカメラに工夫をこらし、走っている馬の見事な分解写真を撮影して雇い主の要請に応える。写真家のこの技術が、後の映画産業発展のきっかけになったというから“ひょうたんから駒”か。

馬のギャロップが賭けごとによって解明されたというなかなか微笑ましいエピソードですが、この逸話を読みながら思ったのは、ここ数年で競馬ファンが競争馬やレースを「見る」ことのできる環境が急速に整ってきてるよなぁということです。

僕が競馬を始めた頃には、ネットにおける競馬の映像配信はすでに始まっていましたし、現在では、過去のレース映像が見られるのは当然のこと、少しばかりお金を払えば、photoパドックや追い切りのVTRさえ見ることができます。PCのコンパクト化に加え、iphoneやタブレットの登場で、競争馬やレースを「見る」環境そのものを手軽に持ち歩ける時代になりました。

かつてはどうだったのでしょう。競馬は「記憶」のゲームだと言われますが、ひと昔前のことを想像してみるに、視覚的な記憶として競馬を持ち帰ることのできる人はずいぶん少なかったのではないでしょうか。あらゆるデータが限られたスペースへ芸術的に配置された馬柱も、さすがに視覚的なデータまで記載することはできません。馬柱を見て予想をし、電話で投票、メインレースくらいはテレビで観られるけれど、それ以外のレースを視覚的に持ち帰るのは難しかったはずですよね。

基本的に、ラップと照らし合わせながらレースを「見る」ことで、各馬の能力を精査する回顧派として競馬予想をしてきた僕ですが、「ROUNDERS」の作業が本格化してから半年以上、競馬をほとんど見ることができない時期が続きました。そうするとね、会社のGI予想大会の成績に如実にそれがあらわれて、何ということでしょう、春のGI勝負、涙の全敗(宝塚記念除く)……。うーん、しっかりした予想ができなかったことを口実にエロ馬券ばかりに手を出したことも敗因の一つでしょうが、何よりも競馬を見なくなったことがいちばんの敗因だと思っています。ということで、今期の目標はシンプルですが「見る」ことに決めました。具体的なことについては、若駒デビューまでにまとめてみようと思います。

復帰

2011年世代の若駒たちによるダービー&オークスという甲子園が終わり、次世代の若駒たちがデビューを直前に控えるこの時期は、有馬記念が終わったあとのような年末年始感を覚えてしまいます。半熟卵としましては、競馬を始めて3年目だったこの1年。覚え立ての言葉を使ってみたくてしょーがない子どものようにはしゃいでばかりいたのが最初の2年間だったとすると、さらに好奇心が旺盛となり、目の前にある興味の対象を触ってみたくてしょーがない子どものようにはしゃいだ1年間だったと思います。

昨年6月に最愛のパートナーりゅうさんと「若駒戦の密かな愉しみ」をスタート。すぐに、エノさん、でぃらんさん、チャイ(childsview)さん、あめすぴさんというツワモノたちが、芋づる式にメンバーとして加わってくれ、妄想GI、Skype競馬、6回にもおよぶ若駒番付座談会、関西へ遠征しての桜花賞祭り、関東に集結してのダービー祭りと、まあ、大人げない大人たちによる2度目の青春ともいうべき愉快なプロジェクトへと成長(?)しました。エロ馬券買って涎を垂らしたり、ヒャッハーとか叫んでばかりいますが、それでも揺るがないのは、みんな競馬に対して本当に真摯に向かい合っているということです。こんな人たちに囲まれながら競馬を楽しめるのって、ほんと幸せ。

「若駒戦の密かな愉しみ」同様、もうひとつのライフワークとして僕の生活に加わったのが新しい競馬の雑誌「ROUNDERS」。親友の勧めで競馬に興味を持った僕ですが、「ガラスの競馬場」の治郎丸さんは、競馬には一生を賭けて取り組む価値があるということを確信させてくれました。書店に並ぶどんな競馬本よりも力強く競馬の魅力に惹き込む治郎丸さんの文章。このレベルの文章が競馬メディアで、特に紙媒体として流通していないのは何だかおかしいよなと感じたのが、「新しい競馬の雑誌を創りませんか?」と僕が話を持ちかけたきっかけでした。

5月の創刊にこぎ着けるまでの道のりは、それはそれは険しい道のりでした。何百本の髪の毛が僕の頭皮に別れを告げたのか考えるだに恐ろしい! 特にラストの3ヶ月は、ふたりとも精神的にクラッシュしてしまうのではないかと本気で心配したくらい。

僕は編集者として、初めて雑誌をつくる人間に要求するにははっきり言って酷だろうということまで治郎丸さんに要求したのですが、恐ろしい吸収力でコツを掴み、ほとんどテクニカルな説明をしなくても、先を読んでそれらをこなしてくれたのです! 僕はブログの更新なんて冗談じゃない状況で、若愉もりゅうさんを始め僕以外の人たちに任せっぱなし、挙げ句の果てにはみなさんに精神的な慰めを乞うてばかりいたのに対し、治郎丸さんはブログを一切休みませんでした。仕事をしながら、ブログを続けながら、あの険しい道のりを難なくこなしてしまうのだから、治郎丸さんの強靱な精神力と競馬に賭ける情熱には鬼気迫るものがありました。怪物を見た、と言っても過言ではないでしょう。

まあ、さすがにラストの直線は、ふたりとも精神も肉体もボロボロ(笑)最後は意識不明の状態で、もはや心臓だけで走っていたのだと思います。

激動の1年間でしたが、僕の競馬歴もそろそろ4年目に突入します。「若駒戦の密かな愉しみ」で競馬を愉しむことで競馬の愉しみを伝えること、「ROUNDERS」を軌道に乗せて競馬界を盛り上げること、そして最愛のブラボーデイジーと幸せな結婚生活を送ること――やることは盛りだくさんですが、滞っていたこちらのブログも再スタートです。早く煮卵になりたい!

雑誌「ROUNDERS」創刊にあたって

特集vol.1

僕自身は競馬歴も浅いということもあって、「競馬に興味を持ち始めた初心者」というスタンスで、「ROUNDERS」という雑誌づくりに臨みました。オグリキャップはもちろん、ディープインパクトの現役時代も経験していないので、治郎丸さんのようなコアな競馬ファンが見てきた光景や吸ってきた空気というものを本当に知らないわけです。もちろんギャンブルに手を染めている恥じらいのようなものも希薄。これは無知という意味では弱みですが、ピュア(笑)という意味では強みにもなります。

「好きなことは何ですか?」という質問に対し、真顔でしかも誇らしげに「競馬だよ」と答えられますし、つづく「儲かってる?」という質問に対しても「儲かってるねぇ」と答えたい(修行中)。「競馬ってギャンブルでしょ?いやあねえ」とくれば、「はあ?ワイドショーの見過ぎでしょそれ」と当然説教しなくちゃならんでしょ。で、そんなときにあったらいいなあと思うのが、「競馬って、ほら、こんなにクールで奥が深いものなんだぜ」って言いながら差し出せる競馬の雑誌。まずは、「ROUNDERS」をそういう雑誌に僕はしていきたいんですね。

なぜ「雑誌」なのか? 手間ひまに加え膨大なコストの掛かる「雑誌」なのか?についてなのですが、これはもう、サラブレッドを扱う以上、それしかあり得ないと思ったからなんです。東京競馬場のパドックで生まれて初めてサラブレッドを見た時、「うわあ、なんて綺麗なんだ!」って僕は思いました。このサラブレッドの美しさというのは、先天的なものである以上に、産まれてから競争馬へと極限の仕上げを施されてゆく過程で備わっていく美しさなんだということをあとで知るようになりました。しかもそこには、一頭の馬をとりまくたくさんの人間の想いまでが込められているのですよね。そうした想いや期待を一身に背負って走るからこそ、ますますサラブレッドが美しく感じられるのです。

雑誌にも同じことが言えるんじゃないかと思います。ダビスタのサラブレッドと肉体を持ったサラブレッドが異なるように、遍在する情報と具体的なかたちにまとめられた雑誌とでは、同じテキストを読むにしても、印象が大きく異なります。競馬にまつわる情報はいまやあらゆるところに溢れています。競馬はブログやtwitterとの親和性も高く、それらを通じて、さらに競馬が面白くなったという人も多いのではないでしょうか(僕ももちろんその一人です)。情報の共有という意味においても驚異的で、これらのツールによって実現化された速報性を前に、月刊誌や週刊誌、あるいは日刊紙でさえ太刀打ちできない状況にすでに突入していますよね(エアシェイディの残念なニュースを後藤騎手の「つぶやき」で最初に知ったという人はものすごく多いのではないでしょうか?)。

こうして、速報性に依拠する情報とは別に、もっと普遍的な情報や物語を扱おうという方向性が見えてきました。そして、多くの人たちの想いを載せて多くの人たちのもとへそれを届けることができること、極限の仕上げを施され研ぎ澄まされた姿で現れること、たくさんの人たちに応援してもらえること――まるでサラブレッドという存在をなぞるようにして雑誌「ROUNDERS」は生まれ、いま新馬戦のゲートを飛び出しました。一頭の若駒を応援するように、「ROUNDERS」をぜひ応援してください!

※治郎丸さんの「雑誌「ROUNDERS」創刊にあたって」はこちら

特集vol.1
※ご注文は販売サイト(rounders.biz)からどうぞ!

競馬雑誌「ROUNDERS」表紙公開!

本日、治郎丸さんの「ガラスの競馬場」にて、競馬雑誌「ROUNDERS」の予約が始まります。それにちょっぴり先駆けて、表紙を公開いたします。といっても、まだ現物は印刷&製本中。この写真は、144Pを想定した束見本に、色校正の余りを巻き付けたものです。この束見本でもわりとずっしり感があるのですが、実際は12P増えて156P。インクもたっぷり吸った、少し太めでみなさんの元へ長距離輸送されるはずです(笑) 大きさはB5の上下を15mmカットした変則サイズ。「優駿」をひと回りコンパクトにした感じです。

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賭けてみるということ

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新しい競馬の雑誌をつくろうという話が出たのは2年くらい前のことでした。そこから、うまく棲み分けているように見える既存の競馬雑誌やメディアに対し、僕たちの雑誌はどのようなスタンスで挑むべきなのだろうか、とか、そもそもなぜコストの掛かる「雑誌」という形態をあえて選択するのか、Webで十分に展開可能なことなのではないか、いや、やっぱり雑誌がいい?、いやでもどうしてよ?などなど自問自答を重ね始め、同時に、雑誌を出し続けていくには確実に直面しなきゃならない、最低限の採算はどうすれば確保し続けることができるのか?という問題を考えているうちに、さらに1年があっという間に過ぎていきました。

この間に治郎丸さんと二人で幾度となく話し合ってきたことは追々お話ししていきたいと思います。そして、二人ともいまだに解答を導き出せていないことのほうが、実は多かったりします。それでも創刊に踏み切ったのには、いくつかの理由があります。なによりもまずは、やってみないとわからないことだらけだから、です。あれ? 理由になってないじゃんよ!とツッコミが入りそうですが、でもまあ文字通り、「やってみもせんで、何がわかる」(これは本田宗一郎の言葉らしいですね、よく知りませんが)ということなんです。

たとえば、伝説的な競馬の雑誌「書斎の競馬」を古本で取り寄せて読んでみて、真っ先に気づいたのは、執筆者の顔ぶれがそのまま、現在の各競馬メディアで活躍している人たちとほぼイコールであるということ。実力のある人たちですし、そういう意味では当たり前のことなのですが、それにしてもここまで綺麗に固定化してしまうものなのかなあという疑問も感じます。大袈裟に言うと、10年間くらい時が止まっている、そんな印象を受けるのです。新しい血なんてほとんど入ってきていないのではないか。手間が掛かるのを前提に、若手を育ててみようと思ったり、面白そうなことを考えている連中にチャンスを与えてみたり、そういったことがどんどんしにくくなっている。

もちろんそれは、どの業界でも今起こっていることですね。未曾有の不況で余裕がないから、面白そうな若手に仕事をやらせるよりも、既に実績のある安定株に仕事をお願いする、と。ひょっとしたら俺のこのプラン、100を10000に化けさせてしまう穴馬券的な可能性あるよなと思いつつ、いやしかし失敗した場合100は1になってしまうだろう、うむ、やはりここはかなりの確率で100を110にするブエナビスタ複勝プランにしておこう、と。あらゆる場面において、そうした思考の循環ができあがってしまっているのではないでしょうか。

こうした発想を否定はしませんし、日常生活のほとんどの場面で、僕もまたブエナビスタ複勝プランを選択していると思います。ブエナビスタの複勝を10万円買って、確実に1万円をGETする安定感や堅実性は、ほとんどの場合正しいから! 仕事にもよりますが、僕が身を置いている印刷業界の現場なんか、むしろこの発想で品質の安定や組版の精度を向上させていかなければどうしようもない世界ですからね。

しかし、一方で、多くの人が無難なプランだけをひたすら選択していく世界というのは、「やってみなくてもだいたいわかる」世界です。さて、「足を運ばなくてもだいたいどんな棚かわかる本屋」って行く価値があるんだろうか? 「読んでみなくてもだいたいわかる小説」って面白いのだろうか? 「最初から両想いだってだいたいわかってる恋愛」って盛り上がるのだろうか? 「やってみなくてもだいたいわかる」競馬って面白いのだろうか?

「やってみないとわからない」可能性に賭けているからこそ面白い世界が確実にあります。足を運ぶ度に新しい発見があるから本屋は刺激的なのだし、読むという経験なしには何ひとつ味わえないのが小説なのだし、(たとえ片想いであっても)強烈な妄想と願望あってこそのドキドキなわけだし、人智を超えた複雑さゆえに絶対という概念が許されないのが我らが競馬の世界なのです。

馬券が外れたときにはさほど驚かないのに、渾身の力を込めて予想した馬券が的中したときにこそ、心の底から驚きませんか? 本当なら、膨大な時間を費やし渾身の力を込めて予想したからこそ、馬券が当たったのは当然だと考えるのが普通でしょ? でも僕たち競馬ファンは、そうは思わない。なぜなら、それだけ奥が深く複雑で、「やってみないとわからない」のが競馬であることを知っているから。そして、「やってみないとわからない」競馬のある一つの可能性に僕たちが賭けつづけるのは、「やってみないことには何も始まらない」こともよく知っているからでしょう。

だからこそ、僕たちは無謀かもしれない可能性に賭けてみることにしました。「rounder」には「A person who earns a living by playing cards(カードゲームで生計を立てている人)」という意味があります。少し緩く意訳して「勝負師たち」。あらゆる意味において、競馬に関わる人たちはみな、「やってみないとわからない」可能性に賭けている勝負師たち。そんな思いも込めて雑誌の名前は「ROUNDERS」。

競馬雑誌「ROUNDERS」は5月13日発売!

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競馬雑誌「ROUNDERS」は、5月13日発売に決定いたしました!

本文用紙が手に入らず代替用紙を探したり、GWがはさまることで校了日から納品までの期間が間延びしてしまったことなどにより、当初の予定であった4月末日発売に間に合わせることができませんでした。僕たちとしましても、GWにじっくり読んでいただきたいなと思っていましたので、愉しみされていた方々には申し訳のないことをしてしまいました。ごめんなさいm(_ _)m

さて、すべての部品の下版はすでに済ませており、4色ページは印刷も終わっています。あとはそれぞれの部品を組み合わせて製本し、完成品が納品されてくるのを待つだけです。僕たちの手元に5月13日に納品されてきます。それまでに予約してくださった方の分は納品日当日に発送しますので、早ければ翌日、遅くとも週明けには手元にお届けできると思います。

雑誌の告知は発売1週間前くらいから開始いたします。ご期待ください!

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