ネット上に競争馬が視覚的に遍在する時代においては、「馬体」を予想のファクターとして重視するスタンスがこれからのトレンドになるのではないか。エノさんとでぃらんさんに出会った1年前は、そんなことを考えていました。競馬中継番組におけるマイネルの岡田総帥の準レギュラー化なんてまさにその兆候なのかなぁ、なんて思ったりもするわけですが、実際のところどうなんでしょう。あ、昨日本屋に行ったら、古澤さんの『馬体革命』(競馬王新書)が出ていたので早速ゲットしました。まだ目次しか眺めていませんが、古澤さんいわく「馬体診断はトレンドにならないからおいしい」のだそうです!

いずれにしても、スピード指数や血統理論がすでに人口に膾炙していることは、持ち時計の速い馬が人気することや、短距離や長距離あるいは馬場状態の極端な変化など、ある条件に対する適性を血統が裏打ちすると思われる馬が実力以上に人気することなどからもわかります。そうしたなかで、これから「馬体」が予想ファクターのトレンドになっていくのかと言えば、なんとなく、古澤さんの言うとおり「トレンドにならない」が正しいような気がします。というのも、「たくさんの経験を積み、たゆまぬ努力をしていくこと」が相馬眼を鍛えるためには確実に必要だからです。スピード指数や血統理論が数値や記号への簡略化のベクトルを内包しているのに対し、馬体を極めることは、数をこなし身体に叩き込むという、簡略化とはまったく逆方向へと突き進むものだからです。

数をこなし身体に叩き込むことで蓄積されていく経験は、当の本人の中にゲシュタルト的な認識を芽生えさせます。たとえば、エノさんは「馬券歴30年」の馬体派の師匠に「さっきの馬のパドック、覚えとき」と言われた馬の姿をひたすら覚えたそうです。でぃらんさんもやはり、師匠から「良質な馬体にひたすら触れ」ることで「走る馬の形を頭に叩き込むんだ」と言われ、それを実践した(している)のですね(「馬体に夢中!![前篇]」)。

僕のような教科書から入るような人間がまず陥るのは、この繋ぎは、この飛節は、このトモは……みたいな感じで、各パーツを切り離して全体を見ることを忘れてしまうという過ちです。どれだけ素晴らしいパーツを備えていても、それぞれのパーツが最も効率的にパフォーマンスを発揮できるバランスで連動していなければ、やはりその馬は走りません。走る馬というのは、各パーツが良いだけでなく、理想的な連動を果たし、結果として「走る馬の形」をしているのだ、というわけです。「部分ではなく、全体を見よ」、これが最も大事であるということを、馬体派の友人たちは教えてくれました。

「数をこなし身体に叩き込む」修行が必要であることに加え、もうひとつ、馬体が「トレンドにならない」大きな理由があります。それは言語化しにくいということです。根拠はあくまでも馬体という視覚的な要素にあるため、言葉だけでその技術を多くの人に伝えにくいんですね。また、ぶっちゃけて言えば、誰かを説得する必要が生じない限り、馬体派は予想の根拠を言語化する必要がありません。「うおお、この馬ええんちゃうの?よっしゃ買ったれぇ!」(なぜかエノさん口調)で本人的にはよいわけです。本人の中に醸成されたゲシュタルト的な認識こそがその馬を買う根拠になるわけで、そういう意味において、共通言語を持ちにくい予想法とも言えます。馬体関係の書籍もあるにはありますが、馬体の各部名称などの静的な用語こそ固定されてはいるものの、動きやパーツの連動、状態判断に関わる主観的な表現はやはり千差万別。それらを客観的な記述へとまとめ上げられれば、馬体が予想のトレンドになる日もやってくるのかもしれません。個人的には、JRDBの金子京介さんがその仕事をいずれ果たしてくれるのではないかと密かに期待しています。