この馬を見よ(1)今期の目標は「見る」
雑誌「d/SIGN」を捨てようと思ってパラパラめくっていると、矢田等さんという方の「見え隠れ写真日記」なるプチコラムが目を引きました。というのも、「賭け」というタイトルに馬の写真が添えられていたからです。走っている馬の脚の運びはいったいどうなっているのか。この問いは、古来より幾多の人々を悩ましてきた難問だったらしく、哲学者のアリストテレスも悩んだ一人であったといいます。この難問が解決されたのは、100年と少し前のことでした。
アメリカの大金持ちが友人と賭けをした。金持ちは「走行中の馬の四肢は同時に地面を離れる瞬間がある」と言い張り、写真家マイブリッジを雇い入れ、賭金をはるかにしのぐ大金を投入して自分の主張を証明しようとした。マイブリッジは当時の感度の低いカメラに工夫をこらし、走っている馬の見事な分解写真を撮影して雇い主の要請に応える。写真家のこの技術が、後の映画産業発展のきっかけになったというから“ひょうたんから駒”か。
馬のギャロップが賭けごとによって解明されたというなかなか微笑ましいエピソードですが、この逸話を読みながら思ったのは、ここ数年で競馬ファンが競争馬やレースを「見る」ことのできる環境が急速に整ってきてるよなぁということです。
僕が競馬を始めた頃には、ネットにおける競馬の映像配信はすでに始まっていましたし、現在では、過去のレース映像が見られるのは当然のこと、少しばかりお金を払えば、photoパドックや追い切りのVTRさえ見ることができます。PCのコンパクト化に加え、iphoneやタブレットの登場で、競争馬やレースを「見る」環境そのものを手軽に持ち歩ける時代になりました。
かつてはどうだったのでしょう。競馬は「記憶」のゲームだと言われますが、ひと昔前のことを想像してみるに、視覚的な記憶として競馬を持ち帰ることのできる人はずいぶん少なかったのではないでしょうか。あらゆるデータが限られたスペースへ芸術的に配置された馬柱も、さすがに視覚的なデータまで記載することはできません。馬柱を見て予想をし、電話で投票、メインレースくらいはテレビで観られるけれど、それ以外のレースを視覚的に持ち帰るのは難しかったはずですよね。
基本的に、ラップと照らし合わせながらレースを「見る」ことで、各馬の能力を精査する回顧派として競馬予想をしてきた僕ですが、「ROUNDERS」の作業が本格化してから半年以上、競馬をほとんど見ることができない時期が続きました。そうするとね、会社のGI予想大会の成績に如実にそれがあらわれて、何ということでしょう、春のGI勝負、涙の全敗(宝塚記念除く)……。うーん、しっかりした予想ができなかったことを口実にエロ馬券ばかりに手を出したことも敗因の一つでしょうが、何よりも競馬を見なくなったことがいちばんの敗因だと思っています。ということで、今期の目標はシンプルですが「見る」ことに決めました。具体的なことについては、若駒デビューまでにまとめてみようと思います。
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